はりくやまく

琉球舞踊・組踊・古典音楽を見たり、聞いたり、のメモ

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新作組踊「今帰仁落城」2



原作は、史観を逆転させたところに面白さがあった。
琉球の歴史では、強欲な北山按司を中山の尚巴志が征伐し、三山統一を成し遂げたことになっている。
大城は、北山按司とその頭役・本部平原を賢く幸せな主従として設定した。
尚巴志が敵役である。首里の宮廷で生まれた組踊では、ほとんどありえないことだろう。

また北山主従の中を割く計略を巡らす勢理客は<オセロー>のイヤーゴーを模したという
。本部に中山の探りを命じられた勢理客が、北山を裏切った理由が少し分かりにくい(中山に捕えられ、あわす顔がないだけでは弱い気がした)けれど、老年の按司の嫉妬を煽るという筋を借りてきたのは(仇討・主家再興にとらわれす)按司物に膨らみを持たせた。

 内容は良かった。ただ、表れた舞台は「これは組踊か?」と思った。
照明、SE、つらね、額縁舞台、大道具、舞台上の遺骸…など<花の幻>で疑問に思った点がそのままあった。
さらに今回は、途中で休憩も入った。「一幕もの」というのも、組踊の約束事ではないのか(古典でも休憩を入れる傾向があるけれど)。また、石垣のセットやホリゾント、紗幕を使い分けて場面を区切っていた。何幕何場で構成されていたのだろうか。

 どんな要素を持っていれば組踊といえるのか―。はっきりとしていないことが問題だと思う。型・枠への共通認識があればいいのにと思う。そうすれば、逆に演出の自由度も増すだろう。坂手洋二らの現代能楽集や中村勘三郎の一連のコラボのように。

沖縄芝居・新劇をくぐった大城立裕が商業演劇の歴史を経た組踊に新味を持たせようと努力している。演出の幸喜良秀の情熱も本物だ。次世代を託す出演者へ掛ける思いは鬼気迫るものがあった。大城組踊は、組踊の新ジャンルかもしれないが、組踊の破壊では決してないと思う。
むしろ、惰性で古典をやることのほうが、組踊を揺るがすものではないか。
年功序列や情実での配役(地謡も)や、おざなりな研修・指導、準備不足のままの上演(保持者が古典をやるのに「稽古不足」とは本来ありえないでしょう)などが、もしあれば、そちらのほうが恐ろしい。
 
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