はりくやまく

琉球舞踊・組踊・古典音楽を見たり、聞いたり、のメモ

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新作能「沖縄残月記」? 

風車を持った子供を連れた男が首里から浦添・前田に向って歩いている。昨年の暮に亡くなった大ばんば(曽祖母)に会いたいと、夜ごと泣く子についてユタに相談すると、浦添への道を歩めば、魂を取り戻す人に会えると告げられたからだ。父子は八重山の歌「月ぬかいしゃ」を歌う村娘にガジュマルの御嶽に導かれ、カミンチュ(神人)船魂のオンバに出会う。そして曽祖母の口寄せが始まり、生前は口にしなかった戦争のことを語り始める。

船魂のオンバ役の志田房子は組踊の唱えで話を進める。どっしりとした佇まいと、通常の女吟よりも強いのに宙を漂うような唱えが、カミンチュであることを感じさせる存在感だ。女性に能は無理だと白州正子は自身の体験から喝破し、組踊でも女性の出番は少なくなっている。それだけに志田の姿は光って見えた(ずっと座っているので、白州のいう「腰」の問題は表にでなかった)。あとの女性出演者はもう一つ乗れていなかった感じもする。大きな先生たちから習い覚える機会のあった志田との世代の差かもしれない。そうであるならば、たとえば佐藤太圭子や玉城秀子がこの役をどうやるのかにも興味がわく。
 組踊を取り入れるということは、違う言語が同じ舞台に乗るということだ。全く違和感がなく、耳に入ってくる。新作能「望恨歌」でハングルを謡わせた多田にすれば、自然なアイデアだったろう。

オンバに呼び出された大ばんばの清水。痩女(?)の面が、わが子を目の前で砲弾に吹き飛ばされた戦争の記憶を誰にも語ることなく生き、死してなお抱え込んだ苦悩を表しているようだった。最終場面で、芭蕉に月を描いた中啓を開き、沖縄の美しさを祝福するように去っていく神々しさがあった。

子方の稽古が行き届き、しっかりと務めていたのも感心した。

音楽は能囃子方と琉球の地謡がかわるがわる演奏した。能は大小の鼓がたたみかけるような迫力で、戦争の様子を謡う地謡を盛り上げる。琉球の地謡は歌三線の比嘉康春を中心としたメンバーが力量を発揮した。2種の音楽を結びつけたのは、「笛」だった。松田弘之と宮城英夫の奏でる音色は、人物の心象を的確に描き、上手に橋渡しをしていた。

補遺
子供の手にしたカジマヤー(風車)が大オンバの生年祝(カジマヤー)と重なる。
装束では、陶工清俊がミンサー帯をしめ、大ばんばの着付けが沖縄の海に合わせたのか青海波の摺箔だったよう見えた。
タイトルは「残月記」だが、十三夜に起こる物語である。残月とは有明の月のことで、十三夜では、少し月齢が早いような気もする。しかし、イメージはいい。一番美しい十三夜に沖縄の悲しい経験と、それに負けない強さのようなものを、形は変わりながら変わらず点に輝く月が見詰めている。
「月は昔から 変わること無いさめ 変わていくものや 人の心」という琉歌が取り入れられていた。
返歌をするならば「泣きゆて恨みゆすが 笑て沙汰しゆんで 語てたべめしやうれ 夜半のお月」
「月もながめれば なれし故郷の 面影どまさる 旅の空や」(参考「琉歌における<月>の形象」)
場所を「浦添・前田」にしたのは大正解。前王朝の打ち捨てられた墓所である、「ようどれ」であり、沖縄戦の激戦地だという、格と寂寥と霊力をかきたてる。
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