はりくやまく

琉球舞踊・組踊・古典音楽を見たり、聞いたり、のメモ

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譜面を見る見ない

組踊公演などでは、地謡席を見るのも楽しみの一つです。心地よい声が聞こえてくると、ついつい、三線に目が移ってしまいます。また、箏の赤嶺和子先生の左手のラインや、太鼓の比嘉聰先生の視線などは、なまじの立方より見ごたえがあります。

以前、とある組踊公演で、工工四を見ながら演奏しているグループがありました。「地謡見物」としては、譜面台に視線を遮られるのは面白くありませんが、そういうミーハーなことは脇に置いて、音楽的な面では、どうなのでしょうか。別の公演の「かぎやで風」の舞台稽古で、赤い毛氈に赤い紙に書いた工工四を置いて「カンニング」していた先生がいたり、先述した組踊公演の演奏があまり心に響かなかったこともあって、個人的には、「暗譜派」びいきなのですが、客観的には、暗譜の有無が演奏のクオリティーにどのような影響を与えるのか、気になるところです。

暗譜の可否はクラシックの世界でも話題になるらしく、ボストン交響楽団を長く率いた指揮者のシャルル・ミュンシュは「聴衆は指揮者の記憶力を見たいのではない。指揮者の音楽を聴きに来ているのだ」という言葉を残しています。
20世紀の初頭までは、指揮者が楽譜なしで指揮をする習慣はなかったそうです。ところが、1930年代にトスカニーニが暗譜で指揮をし、その格好の良さがニューヨークの聴衆を鷲掴みにしました。トスカニーニは強度の弱視で譜面台の楽譜が見えないことから、覚えるしかなかったというのが、きっかけだそうです。地謡が幕内に入る契機になったという知念績高の逸話と通じるようですね。

一方、器楽のソリストはほとんどが暗譜で演奏します。しかし、1840年代には、楽譜なしで弾くのは、作曲者への敬意に欠けると批判されたようです。暗譜が主流の現代でも、ピアノの巨匠リヒテルは、作曲家の指示を正確に弾くためとして暗譜を否定し、「暗譜をしない決心をしたことによって広大なレパートリーを弾くことができるようになった」と語ったと、同じピアニストの青柳いづみこさんの著書で知りました。
結局、巨匠になると暗譜の可否と演奏のクオリティーは直接関係ないということでしょう。

三線の山内昌也さんが「琉球音楽楽典考~世禮國男箸『琉球音楽楽典』の理解を求めて~」
の中で

「ただ、ここで確認したいことは、決して工工四通り弾けたところで、それが完成ではないということである。近年、古典音楽の演奏会などで工工四通り演奏(暗譜)できて満足している実演家が増加していると思われる。(中略) あくまでも、工工四通り弾けたことは、“スタートライン"であり、そこから様々な音楽`性、曲に対する思い入れが入ってきて、初めて演奏することができる。」

と述べているのも象徴的なのではないでしょうか。「良く覚えたね」と感心される演奏は、「まだまだ」の段階なのでしょう。暗譜派も譜面派も、感動を与える演奏を目指して精進する姿は素晴らしいです。
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Comment

 

暗譜と言えばピアニストの辻井伸行さんを一番に思い浮かべます
来月から熊本をスタートに全国ツアーが始まりますが、チケットは数分で完売になりました

  • posted by shinsuke 
  • URL 
  • 2011.10/31 16:49分 
  • [Edit]

NoTitle 

ん~演奏者次第だとは思いますが、立ち方も台詞と振付・歌詞も覚える、覚えて身体に染み込ませ、その人物像になり表現ができる。
地謡は、立ち方の心情表現を歌・音楽で伝える!楽譜を見て演奏することによって立ち方と一体化が出来ないし観客にも伝わらない気がします。楽譜を見ながら、演奏してしまうと立ち方と地謡との呼吸が合わず、総合芸術と言えるでしょうか?
私は「暗譜派」です。
  • posted by 小僧 
  • URL 
  • 2011.10/31 20:01分 
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NoTitle 

こんにちは。私はまだ唄三線的には超絶ド素人なのですが、音楽全般で考えてケースバイケースかしらと思います。
 でも、組踊や舞踊のように他の人との呼吸と調和の中で作り上げるものの場合は、やはり譜面ではなくその場に意識を向けて演奏している方が見ていても心地良いのかなと。
 て、まったく素人目線からなのですが。
 また、独唱とか一人で作り上げる世界の場合は、暗譜じゃなきゃいけないということも無いではないでしょうか?もちろん曲にもよるとは思いますが。

 個人的趣味問題から言えば、地謡の人の動きもじっくり見たいので譜面ガン見だと、ちょっとつまんなーいって思ったりするかもです。全くの個人的な嗜好なのですがww
  • posted by marsmoon 
  • URL 
  • 2011.11/01 13:12分 
  • [Edit]

Re: タイトルなし 

shinsukeさん

辻井さんの、聞いた音を自分のものとして、磨きをかけて再現する能力はすごいです。
お母さんのお話も、素晴らしいですよね。

http://www.jnpc.or.jp/files/opdf/416.pdf

沖縄でも、2009年3月にコンサートをされたんですよ。その3か月後にヴァン・クライバーンを勝ち取ったので余計びっくりしたのを覚えています。


> 暗譜と言えばピアニストの辻井伸行さんを一番に思い浮かべます
> 来月から熊本をスタートに全国ツアーが始まりますが、チケットは数分で完売になりました
  • posted by 亀千代 
  • URL 
  • 2011.11/01 15:55分 
  • [Edit]

Re: NoTitle 

小僧さん

> ん~演奏者次第だとは思いますが、立ち方も台詞と振付・歌詞も覚える、覚えて身体に染み込ませ、その人物像になり表現ができる。
> 地謡は、立ち方の心情表現を歌・音楽で伝える!

その通り!そういう舞台を楽しみに劇場に通っています。


>楽譜を見て演奏することによって立ち方と一体化が出来ないし観客にも伝わらない気がします。楽譜を見ながら、演奏してしまうと立ち方と地謡との呼吸が合わず、総合芸術と言えるでしょうか?
> 私は「暗譜派」です。

私の少ない経験から言っても、暗譜派の方がいい舞台が多い気がします。

でも、ですよ。「覚えきれない」とか「緊張して忘れそう」といった低レベルな理由以外で工工四を広げる地謡には、なにかしらの理論があると思うんです。というのも、文楽では床本を広げているし、沖縄芝居の地謡も舞台そででパイプ椅子に譜面台は珍しくないからです。きっと彼らは「見ながらでも、呼吸を合わせられる」と思っています。どうやって呼吸を合わせているのか聞いてみたいです。





  • posted by 亀千代 
  • URL 
  • 2011.11/01 16:09分 
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Re: NoTitle 

marsmoon さん

同じことを思いました。

特に。

>  個人的趣味問題から言えば、地謡の人の動きもじっくり見たいので譜面ガン見だと、ちょっとつまんなーいって思ったりするかもです

同感です。


島袋正雄先生が、踊りの三線を弾かれるとき、踊り手を愛おしむような、包み込むような目で見ていて、それが音にもなるのを聴いたときは、感動しました。


> こんにちは。私はまだ唄三線的には超絶ド素人なのですが、音楽全般で考えてケースバイケースかしらと思います。
>  でも、組踊や舞踊のように他の人との呼吸と調和の中で作り上げるものの場合は、やはり譜面ではなくその場に意識を向けて演奏している方が見ていても心地良いのかなと。
>  て、まったく素人目線からなのですが。
>  また、独唱とか一人で作り上げる世界の場合は、暗譜じゃなきゃいけないということも無いではないでしょうか?もちろん曲にもよるとは思いますが。
>
>  個人的趣味問題から言えば、地謡の人の動きもじっくり見たいので譜面ガン見だと、ちょっとつまんなーいって思ったりするかもです。全くの個人的な嗜好なのですがww
  • posted by 亀千代 
  • URL 
  • 2011.11/01 16:15分 
  • [Edit]

 

辻井伸行さんのお母さんのはなし載せて頂きありがとうございました!
  • posted by shinsuke 
  • URL 
  • 2011.11/02 17:00分 
  • [Edit]

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