はりくやまく

琉球舞踊・組踊・古典音楽を見たり、聞いたり、のメモ

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演出家の言葉

美術家の森村泰昌さんが演出家の蜷川幸雄さんのこんな言葉を紹介している。

「映画だと、主人公がしゃべっているときは、そいつのアップしか映んない。でも芝居は、主役も端役も、舞台に出ているかぎり全員が観客から観えるだろ、いい演技をすれば、だれでも光ることができるんだぜ」

俺はすべての役者が輝く機会をつくっているという、演出家の自負が感じられる言葉だ。

また、舞台では観客の視点がカメラによって固定(強制)されない、ということを示す言葉でもある。観客は舞台のどこを見てもいい。舞台中継がときたま消化不良の映像を流すのは、視聴者(観客)と撮影者(中継ディレクター)との見たい場所、見せたい場所が合わないからだろう。
話しを戻して。観客がどこを見てもいいということは、演出家はどこを見られてもいいように舞台をつくりあげなければならないということだ。演出家の責任は非常に重い。この重圧を立派に背負った人だけが称賛を浴びる資格を手にするのだろう。
そういう演出家が沖縄にも増えたら、面白い芝居がもっと多くなると思う。


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Comment

素敵です! 

したいひゃー!
以下の部分をもう一度引用。

「演出家はどこを見られてもいいように舞台をつくりあげなければならないということだ。演出家の責任は非常に重い。この重圧を立派に背負った人だけが称賛を浴びる資格を手にするのだろう。」

役者も演出家も、舞台上のことについて、いくら言い訳しても、舞台でしか取り返せないことがあるわけで、
演じる端から消えていく、舞台にこそ、よくどこかで強調される「リアル」があるわけですよね。
学芸会を見に来たわけではないわけだから、保護者の眼差しは排されているのです。
中村芝翫最後の淀君を保護者の眼でみる人はいないでしょう。舞台の真実として展開される世界に、ごまかしや言い訳は見苦しいといわねばなりません。
  • posted by お作法部 
  • URL 
  • 2011.11/16 10:14分 
  • [Edit]

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