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琉球舞踊・組踊・古典音楽を見たり、聞いたり、のメモ

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呉屋かなめ

琉舞藤の会 師範・教師免許披露公演
12月26・27日
沖縄市民小劇場あしびなー

琉舞は情のある人に踊ってほしい。呉屋かなめの師範免許披露の踊りを見て、つくづくと思った。

古典女踊の『諸鈍』は、ゆったりとした登場から<思事の>で膝をかがめて力を溜めて後の確かな歩みで物狂おしい心を表す。男性舞踊家よりもかすかな動きの三角目付、しっかりした足腰を生かして深く沈んでいく月見手、愛しさにあふれた抱き手と、主だった技法はもちろんのこと、それらをつなぐ動きも心に残る。情にあふれた踊りだった。

呉屋かなめは情のある踊り手で、加えて「親切」なところが魅力だ。「親切」とはわかりやすく、親しみやすい踊りをするということだ。

それは、翻訳家の別宮貞徳が、翻訳を通して日本語を論じた『裏返し文章講座』で引用した中国文学者吉川幸次郎の文章にある「親切」に通じる。
≪高村光太郎は「明るい時」という訳詩集の序に「詩の翻訳は結局一種の親切に過ぎない」と書きました。僕はこの「親切」は作家に対する深い愛情から出るだけでなく、日本の読者に対する愛情や国語の対する尊敬さえ含んだ非常におおきな親切でなければならぬと思います。即ち翻訳のことばの一つ一つが、日本語をゆたかにうつくしくするものかどうか、却って日本語を混乱させ汚くするものとちがうかどうか、すぐれた翻訳家の仕事は無意識のうちにこのような面にまで親切な配慮がゆきとどいていなければなりますまい≫

翻訳家は言葉の違いを越えて文化をつなぐ。琉球舞踊家は(古典は特に)時間を越えて踊りを伝えてくれる。古い時代に生まれた文化を今の時代に再現する=文化的・社会的背景も違う現代の観客に見せるのは「翻訳」のようなものだし、その上に感動させるとなると「親切」は欠かせない資質だと思う。

別宮はこう言い添えている。≪流暢なすっきりと頭に入る翻訳文を見た人が「翻訳らしくないですね」と不満を口にするような事態にまでなる。「日本の読者はこういう訳を悪訳だといわず、それに満足しているかのようである」とサイデンステッカーさんが言われるとおりです≫

「わかる人にしかわからない」「高尚だから一般の人には難しくて当然」などと、「わかりやすさ」を「安易・安直」と低くみる権威主義とは逆の発想だ。

流暢ですっきりと頭に入り、心に響く呉屋かなめの踊りは、伝えたいものがどうやったら伝わるかを考えている人の踊りだ。観客に媚びているわけではない。琉球舞踊の門を大きく開け、「一緒に楽しみましょう」と、奥深い世界に手招きをしている。海外で受けるのも、そんな思いが場所や言葉を越えて観客に届いているからだろう。呉屋かなめは優れた「翻訳家」だなと思う。

追記
もう一題の独舞「汀間当」は、花城英樹の三線に身を任せ、元気でかわいい魅力が爆発した。
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Comment

No title 

私はかなめさんのキャラと才能のファンです。
公演に行けなくて残念だと思っていましたが、
この記事を読んで、「あ~あ、見たかった」と、
残念さが倍増しました。
  • posted by セバ@宜野湾 
  • URL 
  • 2010.01/02 00:15分 
  • [Edit]

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